空輪会の本拠を抜け、旅団は地図に導かれ古い巡礼路を進む。ユイの写本では、その路は「暁晶の古道」と呼ばれていた。道の両脇には石碑が並び、そこにはかつて暁晶を守護した竜たちの名が刻まれている。だが多くの文字は削り取られ、輪郭だけが残っていた。消えかけた名のセリフは、人々の記憶さえ相対化していた。
ユイは写本を開き、そこに描かれた図を追う。「暁晶は、かつて竜と人が守り合った遺産だ。竜は結晶の一部を鱗に宿し、守り手として生きていた。だが、ある時点で人は‘効率’と‘忘却’を求め、竜を遠ざけた。ヴェルドはその隙間に居座った存在だと書かれている」
旅団が辿り着いたのは、深い森の淵に崩れかけた祠だった。祠の奥に、小さな水盤と古びた石像。像は竜を模しているが、顔の半分が欠け、片目は石の剥離で消えている。そこにかつて竜が祈りを受けた痕跡が残り、石板には一節の古詩が刻まれていた。
カイは掌の光を祠に差し込み、その光で石板の隙間に残る文字をなぞった。すると、微かに震えるように石像の一部が浮き上がり、そこに刻まれた古い映像が光の中に蘇る。映像は過去の記憶のようで、そこには一人の竜が人々に寄り添い、季節の巡りを助ける様があった。竜はやさしく、時に厳しく人の営みを守っている。
だが映像の後半、竜の表情が歪む。人々が竜を遠ざけ、竜の守りを忘れた日々。竜の瞳に落ちるのは、孤独という名の亀裂である。その亀裂がやがて「虚」を生み、竜は自らの核(コア)を守るため、或いは恨みのために変質していった——少なくとも、写本はそう暗示していた。
ユイは息を呑む。「ヴェルドは完全な悪ではない。むしろ、忘れられた竜の“歪んだ帰結”かもしれない。守られなかった者の代償が、虚として世界に牙を向けているのでは」
リナは祈りを捧げ、石像の欠けた目に手を当てる。掌が触れた瞬間、彼女の額にひとつの記憶が浮かんだ――幼い頃、祖母が語った竜の唄。その唄は人と竜の盟いを祝うものであり、世界の輪郭を織る言葉だった。リナは静かに歌を口ずさむと、その小さな旋律が森に拡がり、葉の一枚がそっと震えた。
その夜、旅団は焚き火を囲み、竜のことを話し合った。ヴェルドが怨嗟から生まれたのか、あるいは人の忘却が創り出した存在なのか。どちらにせよ、彼らが対峙するのは「ただ倒すべき敵」ではなく、「鈍った世界の痛み」の具現だった。
ユイは新たな仮説を口にする。「暁晶の核を再結合するだけでは足りない。核は物理的な結合と同時に“輪郭の再生”を必要とする。つまり人々の名、記憶、選択が回復されることが条件だ。もし我々が欠片をただ清めるだけなら、暫定的な回復にしかならない」
カイは短剣を膝に置き、焚き火の炎に目を落とす。「じゃあ、どうする? 人々に忘却の痛みを思い出させるのか?」
リナは穏やかに答えた。「思い出させるのではなく、再び『選ぶ機会』を作るのです。人が自らの輪郭を取り戻すための場を。名を与える儀式、記憶を刻む祭。暁晶の核は、そのとき本当に回復するはずです」
旅団の目の前に、これまでの戦いの意味が新たな層を持って重くのしかかる。物理的な戦闘だけでなく、文化的で精神的な回復が必要なのだ。ヴェルドが虚を広げるほど、その穴は深く、回復のための努力は大きくなる。
翌朝、カイは父の短剣を撫で、小さく誓った。「俺たちは、ただの武器でない何かを取り戻す。人の名前と選択を守るんだ」