第五章 砂の国セムナ — 灼熱の試練(暁晶の旅団と虚竜ヴェルド)

  セムナへ向かう道は、アークの緑から次第に砂へと変わった。風は熱く、空は白く光る。峡谷は苛烈な日差しに削られ、遠くで地響きがする度に砂塵が巻き上がる。ここには風の繊細さではなく、時間と熱が支配する。

 塔の入口に立つと、そこは巨大な砂時計のように設計されていた。砂は止まっているのではなく、逆行したり溜まったりしている。守環の“炎環”は、時間と熱の均衡を司るはずだが、今は歪み、時の流れが局所的に乱れていた。蒼白の光が砂漠の表面でひび割れて、蜃気楼のような幻が時折見える。

 入口で彼らを迎えたのは砂塵に焼けた商人と、塔の守りを手伝う小さな部隊だ。だがその目はどこか虚ろで、底にあるはずの希望が薄れている。セムナの人々は、熱と空間の狂いの前にうなだれ、選択肢を失いかけていた。

「ここで時間が狂うと、人はいつまでも過去の痛みに囚われるかもしれない」――リナが小さく言った。

 塔の内部は、歩くたびに過ぎ去った時間の断片が一瞬現れる。床に映る影が先の戦いを再演し、振り返ると自分の過去の姿がそこにいる。カイは父と並んで小船を直す昔の自分と目が合い、胸が締め付けられる。ガロは旧友と笑いあう場面がふいに現れ、刃の冷たさが甦る。過去の好機が目の前に提示されるたびに、どう対処するかで未来が変わるようだった。

 塔の核心で待ち受けていたのは、炎を纏う巨像――炎の欠片が“憤怒”の形をとった獣だった。巨像は過去の憤りや恨みを集めて成長し、噴き上がる火が塔内の時間を焦がしている。戦いは苛烈を極めた。炎がユイの詠唱を妨げ、時空の歪みが戦闘のリズムを狂わせる。

 その最中、リナが前に出て叫んだ。

「カイ、あなたはただ憤りを浄化するだけじゃない! 過去の“形”を取り戻してあげて!」

 カイは掌の光を強く握りしめ、目を閉じた。光は熱を帯び、彼に古い記憶のイメージを送る。それは憤怒に焼かれた人々の顔、癒されぬ傷跡、失われた約束だった。カイは一つずつ、その輪郭を光でなぞる。すると炎の巨像は叫び、短い断末魔と共に爆散する。砂時計の砂の流れが整い、時の逆巻きが止まる。

 だがその直後、リナの顔にひどく疲れた影が落ちる。熱は彼女に別の代償を要求していた。守護の術は彼女が自らの記憶を糧にすることで成り立っており、祈りの一つ一つが彼女の記憶の一片を削っていたのだ。塔を救った代わりに、リナは幼い頃の記憶のひとつを失った。

「なにを失ったの?」――カイの声は震えた。

「小さな花の名前。……でも、大丈夫。私はまだここにいる」リナは微笑んだが、その瞳に宿る薄い影は消えない。

 セムナでの勝利は重かった。仲間たちは一人ずつ自分たちの中の欠片を抱え、外に出た。ユイはノートに細かく観察を記し、ガロは黙って大斧の柄を拭く。トウヤはいつもの軽口を取り戻そうとするが、その声は少しだけ震えを帯びていた。

 外に出ると、砂丘の向こうに小さな影が翳っているのが見えた。それは大きく、竜の躯体を思わせる。だがヴェルドの全貌ではない。遠くから聞こえたのは、あの冷たい声ではなく、低い咆哮と共に、かすかな囁きだった。

「世界はほぐれていく。だが、そこで見えるのは“何か”だ。輪郭を失いかけた人々の中に、まだ灯る光がある。お前たちのその光を、私は確かめたい」

 虚竜ヴェルドの影は、ますます彼らに近づきつつある。暁晶の欠片はいくつか清められたが、ヴェルドの計画はそれだけで終わらない。旅団は互いを見やり、固く頷き合った。戦いは続く。だがこの先で何を失い、何を守るのか――それはまだ分からない。彼らができることは、ただ一歩ずつ前へ進むことだけだった。