第十五章 核の最奥 — 暁晶と虚の過去(暁晶の旅団と虚竜ヴェルド)

  名の列が広がり、集団の選択が十分に満たされると、核の門は完全に開いた。光の通路を踏みしめ、旅団は最後の段へと進む。通路は言葉と記憶の「層」でできているようで、歩くたびにそれぞれが自分の過去の断片を見ることになる。カイは幼い日の父の笑顔を、ガロは仲間と交わした誓いを、トウヤは失った家族の面影を、ユイは学術への純粋な憧れを思い出す。リナは多くを既に差し出しているが、それでも深い祈りを続けることで皆を導いた。

 通路の終わり、そこには巨大な空間が広がっていた。中心に浮かぶのは、かつての暁晶の核――だが完全な結晶ではない。核の表面はひび割れ、そこから黒い瘴気がにじみ出している。暁晶の光の残留と、虚の黒が混ざり合う不気味な姿だ。核の中央には巨大な鱗片が刺さり、その鱗片はヴェルドの一部であると思わせる構造をしている。

 その時、空間が震え、ヴェルドが全身を現した。彼の姿は人々が夢想する「竜」とは異なる。怨嗟と孤独の記憶が彼の鱗に焼き付けられ、ところどころに人の言葉や名が刺さる。ヴェルドは自らの過去を語り始めた。

「かつて我は守り手の一つであった。人と共に世界を織る者。だが人は変わった。忘却を選び、我を遠ざけた。孤独が骨まで染みたとき、我はその穴を満たす方法を考えた。忘却そのものを食らえば、彼らは苦しみから解放されると信じた」

 語りの端々に、ヴェルドの悲哀が滲む。それは完全な悪意ではなく、歪んだ救済の論理だった。旅団はそれを聞きながら、ヴェルドをただ斬り伏せるだけでは解決しないことを悟る。核の回復は、ヴェルドの孤独と忘却に対する問い直しを含むのだ。

 カイは静かに立ち上がる。「あなたは守りだった。今も、心の奥底には守りの意思が残っている」――カイの言葉には非難がない。光は掌の底で穏やかに震える。「忘れることは苦しみを和らげるかもしれない。でも同時に、名前も、縁も奪う。あなたの元に戻ってきたのは、忘却を求める人々の影が深まったからだ。私たちは、それを取り戻すために来た」

 ヴェルドは一瞬、瞳を細めた。それは怒りではなく、驚きと戸惑いに似た感情だった。だが続いて、その身体が震え、核心に刺さった鱗がきしむ。彼は力を込めて虚の波を放ち、戦いは最終局面へと突入する。

 肉弾戦、精神戦、そして忘却そのものをめぐる問答――戦いは多層的であった。ユイの詠唱が言葉の輪郭を織り、リナの祈りが人の記憶の端を繋ぎ、ガロの斧が鱗を割り、トウヤの糸がヴェルドの触手を縛る。カイは核に光を差し込み、壊れた結晶面の隙間へ光を送り込む。

 だが決定的だったのは、人々が自ら声を上げ、彼らの名前と選択を核へ届けたことだ。村々で再び名を唱えた者たち、リュクスの鏡楼で自分の嘘を破った者たち、オルドで夢を取り戻した者たち――その声の重なりが核へ到達すると、核はゆっくりと再構築を始めた。黒い瘴気が淡く薄れ、ひび割れた面が光を取り戻していく。

 ヴェルドは叫んだ。「我が孤独をお前らは癒すつもりか? 我は忘れることを与えたのだ。苦しみからの解放だ!」

 カイは答えた。「君が与えたのは“簡単な忘却”だった。代わりに人は尊厳を失った。僕たちが望むのは、忘れることではなく、選び直す機会だ。痛みも悲しみも含めて、君の守りと共に生きることだ」

 その言葉が届いた瞬間、核の光は閃き、ヴェルドの身体に一瞬だけ暖かい光が差した。彼の瞳に揺れが生まれ、鱗の深部で微かな記憶の残響が鳴った。それはかつて人と共に笑った日の一断片のようでもあった。だが虚は深く、完全な解放には至らない。最後の決断が必要だった。

 核の外縁で、リナは再び自分の記憶を差し出すことを選んだ。彼女は語るべき幾つかの記名を、自分の中からそっと外へ放ち、それを核へ捧げる。代償は重い――だがその行為が、ヴェルドの心のひびを埋める鍵となる。リナの声が静かに流れ、核は最後の欠けを埋めていった。

 すると、ヴェルドは大きく息を吐き、身体が震えた。彼は叫び、だがその声のトーンは変わっていた。怒りだけでなく、理解にも似た感情が混じる。

「我は……忘却は、救いにもなりうるが、孤独を育てる。お前たちの輪郭を、我は知らなかった。だが……今、少し分かる」

 そして、ヴェルドは核の一部をゆっくりと口に含んだ――だが喰らうのではなく、自らの鱗の向こうに押し込むようにして収めた。鱗の一片が溶け、黒は薄れ、ヴェルドの姿は少しずつ変化した。完全な和解ではない。だが彼はもはやただの“敵”ではなく、かつての守り手の残滓を宿した存在となった。

第十四章 核心への道 — 裏切りと和解(暁晶の旅団と虚竜ヴェルド)

  ヴェルドが撤退した後、旅団は傷だらけで座り込んだ。人々の名は戻りつつあり、祭壇の光は安定しているように見えた。だがユイが写本の頁をめくると、そこに微かな注記があることに気づく――「核の核心は、物理と記憶の『折り重なり』にある。単独の強さは無意味」とだけ記されていた。

 旅団は次の方針を協議する。核そのものへ入るには、各地で行った名付けや再生の“集合”がなければならない。ユイは言う。

「核へ入る前に、もっと多くの声を集める必要がある。暁晶は共同体の輪郭に依存している。ここで孤立した行動をとれば、逆に虚は付け入る」

 ガロはレオンのことを思い出し、怒りと悲しみに身をひるがえす。だが彼の中には希望の片鱗もある――もしレオンが空輪会の中で何か変わったのなら、対話の余地もあるかもしれない。旅団は情報と時間を分配し、再び各地へ声を届けることにした。

 その折、トウヤは夜中に街灯の陰でひとり、誰かと密談しているところを見られた。仲間が駆け寄ると、そこにいたのはトウヤの“旧知”――空輪会の一員で、かつて彼を庇護していた男だった。短い口論のあと、トウヤは仲間に事の次第を話した。彼が密談したのは、自分の過去の贖罪のためであり、旧知はまだ彼を完全には見捨てていなかったのだという。

 だがその晩、村の鐘が鳴る。見張りが急報を持って走って来た。北の峠で、空輪会の残党が動員をかけ、村々を襲っているという。トウヤは顔を蒼白にして駆け出した。旧知は「俺のやり方で行く」と言い残し、影へ消える。彼の行為は裏切りか――それとも本当の助力か。答えはすぐにはわからない。

 峠の戦いは激烈を極めた。空輪会の残党はかつての組織の教義を拡大解釈し、村人に“楽な忘却”を吹き込んで強制的に受け入れさせようとしていた。ガロと仲間は村を守るために斧と詩と光を交差させ、トウヤは糸で道を閉ざし、ユイは防御の詠唱を繰り返す。旧知はその最中、陣中で涙を流しながら矢を放ち、空輪会の指揮者を討った。彼は自らを犠牲にして村を守ったのだ。

 戦いが終わると、トウヤは膝に座り込み、糸を握りしめた。旧知は息を引き取り、トウヤの腕の中で言葉を残す。

「……悪い。俺は…お前のためにだけ、正しかったのかもな」

 トウヤは嗚咽した。仲間たちは黙って彼を抱いた。裏切りと贖罪はいつも紙一重だ。レオンのこと、旧知のこと、彼らは皆「選択」を翻弄された者たちだった。旅団はその夜、それぞれの胸の痛みを分かち合い、より深い結束を得る。