第十六章 選び直す世界 — 再生と代償(暁晶の旅団と虚竜ヴェルド)

  暁晶の核が完全には復元されないまでも、再び輝きを取り戻したとき、周囲の世界が徐々に変わり始めた。塔に宿った欠片はより安定し、風や炎や水や土の守環は以前より確かな調和を見せる。人々の記憶も戻りつつある。だが代償は確かにあった。リナはいくつかの個人的な記憶を失い、その代わりに新しい役割を得た。ユイは書庫で消耗し、知識の一部が薄れた。ガロはレオンのことを完全には赦さないが、己の守る意味を新たに定めた。トウヤは旧知の死に泣き、しかし自らの選択を肯定する道を歩み始める。カイは父の短剣を握り、黎光の担い手としての使命をより深く理解した。

 ヴェルドは核の脇に座し、鱗の一片を人々に返すわけではなかったが、その巨大な体はもはや無差別に虚を撒き散らすことはなかった。彼は孤独な存在のまま、だが世界との新たな均衡の中に留まる道を選んだ。人々は彼を完全には信頼しないが、少なくとも今は「敵」ではなく「難しい守り手」として受け止められていった。

 世界は完全に元へ戻ったわけではない。記憶は戻り、名は再び唱えられるが、新しい痛みも伴う。人々は自らの選択の意味を見つめ直し、忘却の安易な救済に頼らない共同体を再構築していった。小さな祭りが増え、名を祝う儀が各地で行われた。ユイは学術都市に戻り、写本の保全と語り継ぎの制度を整備する仕事を始め、ガロは失った仲間のための慰霊を続け、トウヤは路地で子どもたちに糸の仕込みを教え、リナは巡礼を続けながらも自らの失った記憶を時折取り戻すために静かに祈りを捧げた。

 ある日、カイは静かに海辺の桟橋に立ち、空を見上げた。遠くで、ヴェルドの影が雲の合間に滑るのが見える。彼は短剣を握りしめ、柔らかく呟いた。

「忘れることを与えるのは簡単だ。でも、その代わりに何かを失う。君たちは、その何かを取り戻す道を選んだ。……それでよかったんだ」

 遠くから、リナの声が波音に混じって聞こえた。「私たちはまだ、学ぶ途中よ。けれど、あなたがいてくれるから大丈夫」

第十五章 核の最奥 — 暁晶と虚の過去(暁晶の旅団と虚竜ヴェルド)

  名の列が広がり、集団の選択が十分に満たされると、核の門は完全に開いた。光の通路を踏みしめ、旅団は最後の段へと進む。通路は言葉と記憶の「層」でできているようで、歩くたびにそれぞれが自分の過去の断片を見ることになる。カイは幼い日の父の笑顔を、ガロは仲間と交わした誓いを、トウヤは失った家族の面影を、ユイは学術への純粋な憧れを思い出す。リナは多くを既に差し出しているが、それでも深い祈りを続けることで皆を導いた。

 通路の終わり、そこには巨大な空間が広がっていた。中心に浮かぶのは、かつての暁晶の核――だが完全な結晶ではない。核の表面はひび割れ、そこから黒い瘴気がにじみ出している。暁晶の光の残留と、虚の黒が混ざり合う不気味な姿だ。核の中央には巨大な鱗片が刺さり、その鱗片はヴェルドの一部であると思わせる構造をしている。

 その時、空間が震え、ヴェルドが全身を現した。彼の姿は人々が夢想する「竜」とは異なる。怨嗟と孤独の記憶が彼の鱗に焼き付けられ、ところどころに人の言葉や名が刺さる。ヴェルドは自らの過去を語り始めた。

「かつて我は守り手の一つであった。人と共に世界を織る者。だが人は変わった。忘却を選び、我を遠ざけた。孤独が骨まで染みたとき、我はその穴を満たす方法を考えた。忘却そのものを食らえば、彼らは苦しみから解放されると信じた」

 語りの端々に、ヴェルドの悲哀が滲む。それは完全な悪意ではなく、歪んだ救済の論理だった。旅団はそれを聞きながら、ヴェルドをただ斬り伏せるだけでは解決しないことを悟る。核の回復は、ヴェルドの孤独と忘却に対する問い直しを含むのだ。

 カイは静かに立ち上がる。「あなたは守りだった。今も、心の奥底には守りの意思が残っている」――カイの言葉には非難がない。光は掌の底で穏やかに震える。「忘れることは苦しみを和らげるかもしれない。でも同時に、名前も、縁も奪う。あなたの元に戻ってきたのは、忘却を求める人々の影が深まったからだ。私たちは、それを取り戻すために来た」

 ヴェルドは一瞬、瞳を細めた。それは怒りではなく、驚きと戸惑いに似た感情だった。だが続いて、その身体が震え、核心に刺さった鱗がきしむ。彼は力を込めて虚の波を放ち、戦いは最終局面へと突入する。

 肉弾戦、精神戦、そして忘却そのものをめぐる問答――戦いは多層的であった。ユイの詠唱が言葉の輪郭を織り、リナの祈りが人の記憶の端を繋ぎ、ガロの斧が鱗を割り、トウヤの糸がヴェルドの触手を縛る。カイは核に光を差し込み、壊れた結晶面の隙間へ光を送り込む。

 だが決定的だったのは、人々が自ら声を上げ、彼らの名前と選択を核へ届けたことだ。村々で再び名を唱えた者たち、リュクスの鏡楼で自分の嘘を破った者たち、オルドで夢を取り戻した者たち――その声の重なりが核へ到達すると、核はゆっくりと再構築を始めた。黒い瘴気が淡く薄れ、ひび割れた面が光を取り戻していく。

 ヴェルドは叫んだ。「我が孤独をお前らは癒すつもりか? 我は忘れることを与えたのだ。苦しみからの解放だ!」

 カイは答えた。「君が与えたのは“簡単な忘却”だった。代わりに人は尊厳を失った。僕たちが望むのは、忘れることではなく、選び直す機会だ。痛みも悲しみも含めて、君の守りと共に生きることだ」

 その言葉が届いた瞬間、核の光は閃き、ヴェルドの身体に一瞬だけ暖かい光が差した。彼の瞳に揺れが生まれ、鱗の深部で微かな記憶の残響が鳴った。それはかつて人と共に笑った日の一断片のようでもあった。だが虚は深く、完全な解放には至らない。最後の決断が必要だった。

 核の外縁で、リナは再び自分の記憶を差し出すことを選んだ。彼女は語るべき幾つかの記名を、自分の中からそっと外へ放ち、それを核へ捧げる。代償は重い――だがその行為が、ヴェルドの心のひびを埋める鍵となる。リナの声が静かに流れ、核は最後の欠けを埋めていった。

 すると、ヴェルドは大きく息を吐き、身体が震えた。彼は叫び、だがその声のトーンは変わっていた。怒りだけでなく、理解にも似た感情が混じる。

「我は……忘却は、救いにもなりうるが、孤独を育てる。お前たちの輪郭を、我は知らなかった。だが……今、少し分かる」

 そして、ヴェルドは核の一部をゆっくりと口に含んだ――だが喰らうのではなく、自らの鱗の向こうに押し込むようにして収めた。鱗の一片が溶け、黒は薄れ、ヴェルドの姿は少しずつ変化した。完全な和解ではない。だが彼はもはやただの“敵”ではなく、かつての守り手の残滓を宿した存在となった。